自著を語る
- Takayoshi SUGAWARA
- 2022年12月31日
- 読了時間: 10分
はじめに
企業の活動は多岐にわたるが、商取引に関する紛争ばかりではなく、社内の不祥事、消費者からの苦情、不当な企業攻撃、さらには会社経営のグローバリゼーション、DXの進展など、現代企業の直面する法的問題は多様化し、複雑化し、そして国際化している。
拙著『企業法務入門20講』は、そうした環境を踏まえ、企業法務の重要課題を解説したものである。また、『会社法入門20講』は、前記『企業法務入門』の姉妹編として、会社法の重要論点につき、できる限り平易で分かりやすく解説した入門書となっている。いずれも、主に初任の企業の法務部員や総務部門の法務担当者、若手弁護士、司法書士、司法修習生等を対象として執筆したが、特に後者『会社法』については、法学部生や法科大学院生のための教科書としても使えるように工夫を凝らした。
以下には、これら拙著2作につき、執筆の背景も含めて紹介させていただきたい。
企業法務とは
一口に「企業法務」というが、これは実に多義的な概念である。10人集まれば、十人十色である 。若干のニュアンスの違いを伴いながら、各々の企業法務のイメージを思い浮かべるであろう。したがって、結局のところ、「企業にかかわる法律問題を扱う業務」という、ごく当たり前のような定義づけしかできない。
企業法務という仕事の枠組みとしては、紛争解決、予防法務、戦略法務、という3つの機能に分類するのが一般的である。このうち「紛争解決」とは、病理現象としての紛争が発生した段階で事後的に問題に対処する法務のことであり、具体的には、訴訟実務があるし、保全・執行、調停、仲裁、示談交渉なども含まれる。
企業法務において現実の仕事の大きな部分を占めるのが、「予防法務」の機能だろう。これは、契約の立案・審査・定型化、会社各部署からの法律相談、経営層に対する法律情報の提供、法務教育活動、損害保険の付保によるリスク管理、コンプライアンス活動など、法的リスクを予測し、事前にこれを予防しようとする法務の総体を指している。
そして第三に「戦略法務」というものがある。これは、法律感覚を活かして、企業の意思決定に参画する法務を意味する。企業法務という仕事がレベル・アップしてくれば、経営トップによる意思決定の一端を担うようになってくる。したがって、この戦略法務の真の担い手は、外部の法律家というよりも、経営者なり、その経営者の側近で法律事務を行う企業内の人たちであろう。
このように、本当の意味での企業法務を担うことができるのは、企業内部に精通した法務スタッフである事実を見過ごしてはならない。そのことを踏まえ、『企業法務入門20講』では、主に初任の法務部員や総務部門の法務担当者を対象として、企業法務の重要課題を、できる限り平易で分かりやすく解説した。
『企業法務入門20講』の内容
企業法務では、商事法務、国際法務、債権管理・回収、独占禁止法、労働法、危機管理、知的財産権、税法、消費者保護法制、環境法、損害保険等々、その関連する法分野は多岐にわたる。なにも上場企業グループの大仕掛けな業務だけが、企業法務の仕事というわけではない。小規模な会社にも、小規模なりに特有な難しい問題がある。
そこで、拙著『企業法務入門』では、商事法務(第6・7・8・9講)、国際法務(第4・5講)、情報法務(第10講)、経済法・独禁法(第11講)、労働法務(第12・13講)、消費者保護(第14講)、債権管理・回収(第17講)、危機管理(第18・19講)について、企業法務をめぐる各種の法律を広く取り扱うこととした。
各講の冒頭に実務的な事例(【Case】)を掲げ、その考え方の要旨(【本講のポイント】)を示した後、具体的な解説を論述している(【解説】)。
たとえば、国際取引では
国内契約の疑義解決条項と英文契約のEntire Agreement Clauseを比較した場合、どのような日本と欧米の契約観の差異が見出せるのであろうか。
また、経済法では、
複数の同業者が参加する担当者の懇親会に出席したところ、席上で主力商品の価格や数量の話題が出た。たんなる情報交換のつもりで聞き役に徹していたが、後々法的に問題とならないかが心配である。
といった【Case】を提示し、これらを導入として、各法分野を実務的に解説した。そして、末尾には今後検討すべき事項(【発展問題】)も付記している。
前記の紛争解決、予防法務、戦略法務という企業法務の3つの機能については、演習問題の形式で解説を試みた(第5・7・16・17講)。さらには、日常業務に欠かせない基礎知識のみならず、パンデミック対応など最新のテーマや、法務担当者としての心得(「企業法務 局中法度」)まで余すところなく伝えたつもりである。
執筆の背景 -著者の略歴
自著を語らせていただく背景事情として、ここに自身の経歴を簡潔に記しておきたい。
筆者は、大学を卒業後、民間企業に就職し、数年間、航空会社の営業企画・マーケティングの業務に従事した。後に法務部へ異動し、企業法務と航空保険等の損害保険の実務経験を経て、司法修習生となり、弁護士登録した[ST3] 出身企業のインハウス・カウンセルとして稼働した後、現在の法律事務所に移籍し、主として企業法務・ビジネスに関する法律事務に携わり、現在に至っている。
あえて自身の経歴の特色をいえば、いわゆる組織内弁護士の先駆け的な存在であったことと、法務・コンプライアンス・リスクマネジメントを担当する役員として約7年間にわたり上場会社の企業経営に関わったことであろうか。
拙著では、前記のような経験を踏まえ、主に後進の法務担当者を対象として、企業法務の重要課題を解説することになったものである。
弁護士として
一弁護士としては、判例百選や判例タイムスに登載された事件も訴訟代理人として担当したが、もっとも記憶に残っているのは、全日空機ハイジャック事件の民事訴訟であろうか。
1999年7月にANA61便がハイジャックに遭い、操縦席にいた機長がハイジャック犯に刺殺されるという、大変に痛ましい事件が発生した。ハイジャック犯本人は刑事裁判にかけられ、無期懲役で現在も服役中である。ご遺族は、刑事裁判だけでは事件の本質が分からない、航空の安全の観点からは再発防止策が不十分だとの問題意識から、国・空港ビル・航空会社を相手どって民事訴訟を提起し、筆者は被告側の主任代理人を務めた。この訴訟は長く続き、最終的には判決に至ることなく和解で終結したため、判例集などには登載されていない。
訴訟になれば、お互いに主張・立証を尽くすという対立構造となるが、4年の歳月をかけて和解が成立したとき、その席上、原告である機長の未亡人が「これで夫の死を無駄にせず、事件を風化させないことができました。ありがとうございました」とおっしゃり、深々と頭を下げてくださった。そのとき、裁判とは、単に目の前の紛争を買付するだけではなく、訴訟の攻防の過程で当事者が心に寄せ合い、さらには国や社会のシステムや在り方を変える力もあるのだという思いを強く実感したものである。
また、国内の事件ではないが、米国の国際航空運賃のカルテル事件も記録に残っている。事件の発端は、FBIが航空各社に国際運賃・料金カルテルの嫌疑で立入調査したことであった。ここで事件の詳細を記述することは控えるが、米国司法省(DOJ)と交渉を重ね、司法取引を行い、ワシントンD.C.の連邦地裁法廷で宣誓の上で有罪答弁(guilty plea)をした、数少ない日本人弁護士の一人となった。
同時に当該社のコンプライアンス体制の構築にも取り組んだが、それで事件が終結したわけではなく、後に集団訴訟(class action)が提起され、そこから米国民事訴訟の洗礼を受けることになる。模擬陪審法廷(mockup trial)や米国では珍しい調停(mediation)という得難い経験もし、ようやく事件は終結した。足掛け10年に及ぶこの経験は、司法のグローバル化・ボーダレス化が進む我が国司法の今後の在り方を考える機会を与えてくれたと思う。
これらの体験は、私の実務に臨む基本姿勢に強く影響しており、拙著においても、そうした経験をできる限り反映することに努めた。
大学教員として
法科大学制度がスタートした2004年からは、慶應義塾大学の大学院法務研究科(法科大学院)実務家教員となり、以来18年間、必修科目の商法・会社法、選択科目の企業法務プログラム・経済法・航空法等を担当している。
法科大学院における実務家教員としての最大の任務は、実務教育の側から理論的教育に対して架橋し、もって高度な専門的知識と十分な職業倫理を身につけた法曹を養成することである。特にビジネス・ローの分野を深く理解するためには、産業界ないし企業社会における現実の法解釈・適用も学んでおかなければならない。また、社会経済活動のグローバル化やDX化が進展する今日では、実務界で活躍できる人材に必要な法的知識と理解力のスタンダードはますます高くなっている。
ところで、法律学で重要なのは結論ではない。むしろその結論に至る論理の筋が重要である。もちろん結論が日常生活の常識を壊すものであっては困る。法曹としては、その常識に法律的な根拠を提供しなければならない。したがって、法曹には、①正義衡平の価値観を有すること、②法の趣旨を正確に理解できる能力のあること、③条文の操作や法の解釈・適用といった技術を身につけていること、④事案の解決にあたって結果の妥当性を見通せる力があること、などの資質が求められるのだと思う。学生諸君には、慶應義塾の伝統である「半学半教」の精神に基づく教員とのコラボレーションにより、これらの資質を十分に備えた法曹に育ってもらいたいと願っている。
また、2014年からは、法務省法制審議会の委員を務め、商法の改正作業にも関与している。そこでは、立法事実の調査、実務界への対応、他の法制度との整合性の確保等々について、部会の場で徹底的に議論するという貴重な経験をさせていただいた。これらの経験は、筆者の弁護士ないし法律家としてのスキルを高めることになったのではないかと考えている。
なお、拙著の執筆に際しては、筆者が担当した慶應義塾大学の法科大学院における講義内容や質疑応答を盛り込んだため、本編も講義録のような口語体で記述している。
『会社法入門20講』について
会社法とは、会社の設立、組織、運営、管理の一切を規律する基本法であり、会社企業の存立と活動を保障し、企業をめぐる利害関係を調整することを目的としている。機動性や柔軟性が高く、適正で効率的・合理的な企業経営を実現するという実務課題の達成のためには、会社法の基本構造を踏まえて、その重要論点を正確に理解することが必須であろう。
拙著『会社法入門20講』は、先に上梓した拙著『企業法務入門』の姉妹編として、会社法の重要論点を、できる限り平易で分かりやすく解説した。これも初任の法務担当者や若手弁護士等を対象として執筆したが、法学部生や法科大学院生のためのサブ・テキストとしても使えるように工夫を施している。たとえば、司法試験や予備試験に出題されるような論点については、本書の中で概ね網羅できているものと思う。
本書の総論部分に該当する第1・2講では、「会社とは何か」および「株式会社の基本構造」を主題として、会社法の全体像を示した。第3講から第20講までが各論部分だか、ここでは会社法の解釈問題を解説しながら、企業実務の視点からみた説明も付加することによって、「理論と実務の架橋」を試みたつもりである。
また、各講の冒頭に実務的な事例(【Case】)を掲げ、その考え方の要旨(【本講のポイント】)を示した後、具体的な解説を論述しました(【解説】)。さらに、末尾には今後検討すべき事項(【発展課題】)を付記したことも、前著『企業法務入門』と同様の構成となっている。
結びにかえて
世はダイバーシティの時代である。ダイバーシティの本質とは、性別でも年齢でもなく、人間社会の多様性を承認し、社会全体を成長させる、そうした「視点のダイバーシティ」こそが本質というべきであろう。
この点、事件とは、様々な当事者の人生の投影であり、当事者を取り巻く社会の投影である。そして、法務の仕事では、様々な人生や社会の投影である事件を解決して、正義を実現したり、あるいは,権力に侵害された権利・利益を救済する。そこには、多様な価値観や多角的な思考方法、すなわち「ダイバーシティ」の視点がなければならないと思う。
(イノベーション・インテリジェンス研究所「金融・資本市場リサーチ」8号収録)

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