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記憶に残る受任事件

  • 執筆者の写真: Takayoshi SUGAWARA
    Takayoshi SUGAWARA
  • 2022年4月1日
  • 読了時間: 3分

 私は、大学卒業後、民間企業に就職し、およそ10年間、航空会社の営業企画・マーケティングの業務に従事していました。その後、法務部へ異動し、企業法務と航空保険等の損害保険の実務を経験した後、インハウスとして弁護士登録しました。

 今では、組織内弁護士が全国で2000名を超えていると聞きますが、私が弁護士登録した当時は20名くらいの極めて少数派でした。2001年からは現在の事務所に所属していますが、それ以降も出身企業グループの案件を中心とした企業法務に携わっています。


 また、法科大学制度がスタートした2004年からは、慶應義塾大学の実務家教員となり、現在まで18年間、商法・経済法・航空法等の講座を担当しています。

 大学教員としては「理論と実務の架け橋」を肝に銘じ、難解な法理論や複雑な法律実務をいかに分かりやすく学生諸君に理解してもらうかに努め、また、判例を分析し位置付けていくことの大切さを「半学半教」で学んでいるところです。


 実務では、判例百選や判例タイムスに登載された事件も訴訟代理人として担当しましたが、もっとも記憶に残っているのは、1999年に起きた全日空機ハイジャック事件の民事訴訟です。

 これは、操縦席にいた機長がハイジャック犯に刺殺されるという大変に痛ましい結末の事件でした。ハイジャック犯本人には無期懲役判決が下され、現在も服役中です。しかし、刑事裁判だけでは事件の本質が分からない、航空の安全の観点からは再発防止策が不十分だというご遺族の問題意識から、国・空港ビル・航空会社を相手どって民事訴訟が提起され、私は被告航空会社の主任代理人を務めました。

 この訴訟は、4年を超える歳月を経て和解で決着しましたが、和解成立の席上、原告である機長の奥様が「これで夫の死を無駄にせず、事件を風化させないことができました。ありがとうございました」と仰って、深々と頭を下げてくださいました。

 そのとき私は、裁判とは、単に目の前の紛争を解決するだけではなく、訴訟の攻防の過程である意味当事者が心に寄せ合い、さらには国や社会のシステムや在り方を変える力もあるということを実感いたしました。


 また、国内案件ではありませんが、米国の国際航空運賃カルテル事件も記憶に残るケースです。

 事件の発端は、2007年3月、FBIが航空各社に国際運賃・料金カルテルの嫌疑で立入調査したことでした。事案の詳細は省略しますが、私は本邦会社の代理人として、司法省と交渉を重ね、司法取引を行い、ワシントンD.C.の連邦地裁法廷で宣誓の上guilty pleaという答弁をするという、数少ない日本人弁護士の一人となりました。

 同時に当該社のコンプライアンス体制の整備にも取り組みましたが、それで事件が終結したわけではなく、その後に集団訴訟(class action)が提起され、10年に及ぶ米国民事訴訟の洗礼を受けることになります。模擬陪審法廷(mockup trial)や米国では珍しい調停(mediation)等という得難い経験もし、ようやく2018年に民事も解決できました。

 グローバル化・ボーダレス化が進む我が国司法の今後の在り方を考える機会を、この事件は与えてくれたように思います。


 これからも様々な案件を経験するでしょうが、一法律家として引き続き精進を重ねていきたいと思います。

 
 
 

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